ドライフルーツとは、dryとfruitを合わせた和製英語です。正しい英語表記はdried fruitとなります。
つまり、どちらも意味合いとしてはフルーツを乾燥させたものとなります。
また、果物だけではなく、野菜、ナッツのすべてを含めて、総合的にドライフルーツと呼ばれています。
ドライフルーツは、果物を干して乾燥させるというシンプルな製法であり、紀元前から行われている食品を保存するための方法の1つです。また、ドライフルーツは人間が作った最古の加工食品といえます。
では、その最古の加工食品は、いつごろから人類が作り始めるようになったのでしょうか?なんと、その歴史は紀元前までさかのぼります。
ドライフルーツの歴史は古く、紀元前6000年ころからと言われています。
例えばデーツ(ナツメヤシ)は、メソポタミアや古代エジプトで栽培されていたと考えられ、クレオパトラも美容食として好んで食していたと言われています。イスラム教の聖典コーランでは「神の与えた食物」とされ、旧約聖書には「エデンの園の果実」と記述があり、「生命の樹」のモデルといわれています。

紀元前5000年ころになると、古代ギリシャでは乾燥いちじくが甘く栄養価の高い貴重な食品として大切にされていました。
軍事的な厳しい教育制度である「スパルタ教育」という言葉が日本でもなじみがありますが、スパルタの男子は、強い兵士となるため幼い頃から親元を離れ、厳しい訓練を受けていました。ローマの作家プルタルコスの「英雄伝」には、スパルタ兵士が月に約1.5kgもの乾燥いちじくを食べていたという記述があり、栄養価の高いものであることがうかがえます。

日本では生で食べることが多いいちじくですが、海外では乾燥した果実を食べることが一般的です。気候が乾燥している地域では熟したいちじくがそのまま木の上で乾燥してしまうので、そのような事情が食文化の差につながっていることも考えられます。
また、古代ギリシャのローマ神話では、酒の神様バッカスがいちじくの木に多くの実をつけさせる方法を教えたとされ「多産」のシンボルとなっています。
その後、紀元前4000年ころには中東諸国でレーズンの栽培が始まり、デーツやいちじくと共に栽培が盛んになりました。紀元前1500年ころには栽培される地域も拡大していき、それに伴いドライフルーツの技術も向上していったものと考えられます。
更に時代は進み、紀元前150年ころの古代ローマでは、レーズンは貴重品で、スポーツ競技の賞品、税金(物納)、万能薬など、物々交換の品としてさまざまな用途に使われていました。
その後もレーズンは高い価値を持ち(金と同じ価値)1000年代~1200年代の十字軍遠征時代、ヨーロッパと他の地域との交易に寄与したといわれています。
一方、ヨーロッパや中近東ほどではありませんが、アジア諸国でも2000年前ころから中国などでドライフルーツの製造が始まり、漢方薬として珍重されました。バラ科の植物で真っ赤な色が特徴的なサンザシがその代表といえるでしょう。
日本のドライフルーツといえば、梅干・干柿などがありますが、諸外国に比べあまり乾燥果実が発達しなかったのは、日本の気候が基本的にドライ作りに不向きだったためです。
尚、現在は食品乾燥機の性能が向上し、日本でもドライフルーツの製造がおこなわれるようになっています。
第1章のまとめ
ドライフルーツは生よりも保存がきくことから、戦争や厳しい気象状況を乗り切るための非常食として利用され、貴重で価値の高い食品であったことが歴史をたどることで理解を深めることができました。
※ドライフルーツ豆知識
16世紀から17世紀頃のヨーロッパではドライフルーツのことを『Plum(プラム)』と呼んでいました。ドライフルーツたっぷりのフルーツケーキのことを『プラムケーキ』として販売しているお店もありますね。
